AIが生成した訳文が流れ込み、担当者が原文と訳文を照合して確認しているイラスト

AI時代にも残る認識の乖離

「翻訳」というと、かつては翻訳者が原文を読み込み、不明な点を資料やインターネットで調べたり、辞書を引いて用語を選んだりしながら、訳文を一文ずつ作成していました。

ところが、現在では生成AIや機械翻訳に文章を入力すると、数秒で訳文が表示されます。以前は時間がかかっていた作業が、目の前で瞬時に完了します。この変化を目の当たりにすれば、「翻訳者はもう必要ない」「翻訳にかける費用は無料同然でよい」と考える人がいても不思議ではありません。

実際、AIによって、訳文を生成するための時間と費用は大きく低下しました。情報の概要をつかむ、外国語のメールを読む、社内で内容を共有するといった用途では、人による確認を行わず、AIの出力をそのまま利用できる場面も増えています。

一方、一定の品質を保証した成果物として第三者に提供する翻訳では、少し事情が異なります。訳文を作ることに加えて、その訳文が原文の内容を正しく伝えているかを確認しなければならないからです。

本記事では、翻訳の工程を便宜上「生成」と「品質保証」に分け、AIによって何が変わり、何が残っているのかを整理します。

翻訳文の飛躍的な進歩

機械翻訳の訳文が、以前より自然で読みやすくなったことに異論は少ないでしょう。

大きな転機の一つは、ニューラル機械翻訳が広く使われ始めた2016年頃です。Googleが2016年に発表したニューラル機械翻訳システム「GNMT」の論文では、単純な独立文を用いた人手評価において、従来のフレーズベース方式より翻訳エラーが平均60%減少したと報告されています。

この結果は、限定された条件下ではあるものの、ニューラル機械翻訳が従来方式よりも大きく改善したことを示しています。ただし、あらゆる文書で人間と同等の翻訳が可能になったことを示すものではありません。

技術の進歩は、2016年で止まったわけではありません。その後、ニューラル機械翻訳はさらに普及し、近年は大規模言語モデル(LLM)も翻訳に利用されるようになりました。現在のAIは、文法的に整った流暢な訳文を短時間で生成できます。

したがって、現在のAI翻訳を、過去の不自然な機械翻訳と同じものとして評価することはできません。本記事でも、現在のAI翻訳が多くの用途で十分に役立つことを前提としたうえで、それでも正確性を保証する場合にはどのような作業が残るのかを考えます。

「生成」と「品質保証」は同じ工程ではない

翻訳文を作成する過程では、原文を読み取り、訳語を選び、訳文を組み立てます。AIは、この生成工程の多くを高速化しました。

しかし、業務として一定の品質を保証する場合には、生成された訳文について、例えば次のような点を確認する必要があります。

  • 原文の情報が抜けたり、原文にない情報が加わったりしていないか
  • 修飾関係、因果関係、肯定と否定などが変わっていないか
  • 数値、単位、固有名詞が正しいか
  • 専門用語がその分野と文脈に適しているか
  • 同じ用語や表現が文書全体で一貫しているか
  • 訳文が実際の使用目的に適しているか
  • 修正によって新たな誤りが生じていないか

ここでいう品質保証コストとは、最後に自動チェックツールを実行する費用だけではありません。原文と訳文を照合し、求められる品質に達しているかを判断するための時間、専門知識、確認作業も含まれます。

もちろん、品質保証の一部も自動化できます。用語候補の提示、過去訳の検索、数値や単純な訳抜けの検出支援などは、AIやCATツールが有効な領域です。それでも、訳文の生成が自動化されたことと、品質保証の全工程が不要になったことは同じではありません。

ポストエディットは「訳文を軽く読む作業」ではない

機械翻訳やAI翻訳の出力を人が修正する作業は、一般にポストエディットと呼ばれます。

完成した訳文だけを読んで、文章の不自然さや誤字を直すのであれば、作業は比較的軽く見えます。しかし、原文に対する正確性まで確認するには、原文と訳文の両方を読む必要があります。訳文が自然であっても、それだけでは原文の意味が正しく反映されているとは判断できません。

ポストエディットを行う人は、原文の意味を捉えたうえで、AIがどのように解釈したのか、その解釈が妥当か、誤っている場合にはどう直すかを判断します。一次訳の品質が高ければ、最初から翻訳するより短時間で済みます。一方、文章の難易度、一次訳の品質、要求される完成度によっては、誤りの発見や修正に相応の時間がかかります。

人が自分で作成した訳文を見直す場合には、その時点ですでに原文を読み、内容を調べ、どのような考えで訳語や表現を選んだかも概ね把握しています。このため、見直しそのものは不可欠ですが、原文と訳文を初めて読む場合に比べれば負担は軽くなります。一方、第三者が訳文を確認する場合には、原文と訳文の両方を新たに読み解く必要があるため、作業内容はポストエディットに近くなります。

AIや機械翻訳による一次訳も、確認する人が自分で作成した訳文ではありません。そのため、原文だけでなく、AIが作成した訳文を読み、その解釈や意図を把握する作業も加わります。自分の訳文を見直す場合と比べると、この点が追加の負担になることがあります。

人手翻訳とAI・MT翻訳の工程比較

したがって、「ポストエディットは常に翻訳より大変だ」とも、「一次訳があるから常に一定の割合で簡単になる」とも一律にはいえません。

ポストエディットの負担は、研究上も、主に作業時間、実際の修正操作、認知的負荷(内容を読み解き、正しいかどうかを考える際の負担)という複数の面から検討されています。2025年に発表された英中翻訳の実験では、GPT-4の支援を利用したポストエディットは、従来型のポストエディットと比べて作業時間を有意に短縮せず、修正操作の負担は増加しました。認知的負荷への効果も一貫しませんでした。

もっとも、この実験の参加者は大学院生26人であり、結果をすべての言語、分野、翻訳者に当てはめることはできません。この研究から読み取れるのは、AI支援の効果がないということではなく、AIを追加すれば作業負担が必ず下がると単純には仮定できないという点です。

また、機械翻訳の出力を人が全面的にポストエディットする工程と、担当者に必要な能力については、国際規格ISO 18587:2017でも要件が定められています。同規格でも、ポストエディットは、出力文をざっと確認するだけの作業ではなく、一定の能力を持つ担当者が行う一つの工程として位置づけられています。

流暢な訳文でも、意味の誤りは残り得る

現在のAI翻訳の大きな長所は、流暢な文章を生成できることです。ただし、品質確認の面では、この長所が別の難しさを生む場合があります。

不自然な訳文であれば、そこに問題があることは比較的見つけやすいでしょう。これに対し、文法的に整い、もっともらしく読める訳文では、原文との意味のずれを見落としてしまうことがあります。例えば、原文の一部が省略されている、限定の範囲が変わっている、原文にない因果関係が加えられているといった問題です。

用語に関しても同じことがいえます。例えば、trigger the function に対して「機能の発火」という訳が生成されたとします。日本語の語句として形は整っているため、読む人によっては、それらしい表現に見えるかもしれません。しかし、実際には対象と文脈に応じて、「機能をトリガーする」「機能を起動する」「関数を呼び出す」などを検討する必要があります。

これは、特定のAIの性能を評価するための例ではありません。文章の流暢さと、専門分野における意味の適切さは、別々に確認する必要があることを示す一例です。

利用目的によって、求められる品質は異なる

AI翻訳を使って情報の概要をつかむ場合には、完成した訳文を読み、おおよその内容が理解できれば目的を達成できます。このような用途では、現在のAI翻訳はすでに非常に有用です。

一方、訳文を成果物として外部に提供する場合には、読みやすさだけでなく、原文との対応も確認する必要があります。意味が同じか、用語が適切か、文書の目的を満たすか、誤りが実務上の問題につながらないかまで確認します。

そのため、ある人が「十分に翻訳できている」と評価し、別の人が「このまま外部に提供できる品質ではない」と評価しても、必ずしも矛盾しません。両者は、異なる使用目的と品質基準に基づいて判断しているからです。

AI翻訳をめぐる認識の乖離は、AIの性能に対する評価の違いだけから生じるものではありません。何をもって翻訳作業の完了とするか、その基準が異なることも大きく関係しています。

料金は「機械を使ったか」ではなく、総作業量で考える

機械翻訳の普及後、「翻訳は機械が行い、人は見直すだけ」という前提から、通常の翻訳より大幅に低い単価が設定されることがあります。筆者が実際に目にした募集の中にも、ポストエディットに対して原文1文字当たり1円程度の単価が提示された例があります。

ただし、特定の単価が妥当かどうかは、数字だけでは判断できません。一次訳の品質、文章の専門性、求められる完成度、誤りが生じた場合の影響、納期などによって、必要な作業量は変わるからです。品質要求が低く、一次訳も安定していれば、低い単価でも作業時間に見合う可能性はあります。反対に、原文との詳細な照合や専門的判断が必要であれば、一次訳が存在しても作業量は大きく減らないことがあります。

したがって、合理的な価格差を設けるには、「機械が翻訳した」という事実だけで一定の値引率を決めるのではなく、必要な品質に達するまでの時間が実際にどの程度短縮されたのかを測る必要があります。見るべきなのは、最初の訳文が出るまでの時間ではなく、納品可能な状態にするまでの総作業時間です。

特許翻訳で残る確認工程

特許翻訳では、訳文の自然さよりも、原文の意味を正確に反映することが最優先されます。多少不自然な表現であっても、技術的な意味や権利範囲を正確に保つために許容される場合があります。そのため、品質保証では、文言が技術的内容や権利範囲にどのように作用するかを厳密に確認する必要があります。例えば、次のような項目が品質保証の対象となります。

  • クレームに記載された構成要素と、その関係
  • 単数・複数や選択肢の扱い
  • 限定表現の追加や欠落
  • クレームの内容と明細書の記載との整合性
  • 図面符号との対応
  • 訳語が持つ意味の範囲

AIが一次訳の作成時間を短縮しても、これらの確認に必要な時間が同じ割合で減るとは限りません。一方で、用語の照合、関連文書の検索、表現の比較、数値や符号のチェックなど、AIや翻訳支援ツールによって効率化できる部分も多くあります。

重要なのは、AIを使うか使わないかという二者択一ではありません。どの工程を自動化でき、どの工程に人の判断が残るのかを見極めることです。

低下したのは、翻訳に関わるすべてのコストではない

AIによって、翻訳文の生成コストは大きく低下しました。用途によっては、そのまま十分に役立つ訳文を、ほぼ瞬時に得られるようになりました。これは翻訳技術の明確な進歩です。

しかし、正確性、専門性、一貫性、法的効果などを保証する必要がある場合には、生成された訳文を検証する工程が残ります。その工程もAIによって効率化できますが、生成コストと同じ割合で自動的に低下するわけではありません。

AI導入の効果を評価するときに見るべきなのは、訳文が生成されるまでの速さだけではありません。必要な品質に到達するまでに、全体としてどれだけの時間と作業を要したかです。

修正量を表す指標の一つに「編集距離」がありますが、編集距離は総作業量と同じものではありません。訳文をほとんど修正しなかった場合でも、それが正しいと判断するまでには確認作業が必要だからです。AI導入による効果を測るには、実際の修正量だけでなく、確認にかかった時間も含めて考える必要があります。

この区別が共有されれば、「AIなら無料同然で翻訳できる」「専門翻訳ではAIは使えない」といった両極端な議論から離れ、用途、品質、リスクに応じた現実的な判断がしやすくなるのではないでしょうか。

参考資料